『quick silver』、当日パンフ用テキストをひとつ。

チラシのデザインが気に入らず帰国して作り直しするつもりだったが、いろいろ話し合い当日パンフで美露さんの写真も私のテキストも載せることにした。チラシに関してはもうなにを言っても始まらない・・・無念。で、パンフに載せる新しいテキストをひとつ書いた。

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 メルクリウス、水銀とは万能のメディウムだと信じられた。雑多な金属を黄金に変成してしまうというような。あるいはフラスコ内でのホムンクルスの化生に関わるというような。西洋錬金術の歴史は東洋の練丹術と通じているし、日本へも当然舞い込んだにちがいない。それは、役行者や天童法師や空海よりもはるか以前に、すでに、飛翔する日本の天狗たちの、山伏の起源にある金属変成の、実験的混成の深い闇へと通じている。無名の、書かれざる水銀史=水銀死は、踏み迷い、失われた足たち手たちの、無頭の、ダルマの肉体史、それは<舞踏>の起源の物語であるだろう。水銀史は入り乱れる毒と薬の、すなわち東と西の呪術混成の、呪医たちの相関史でもあるだろう。それは舞踊する身体の歴史に読みかえることができる。
で、種村季弘氏が書いている。「反閇といえば悪霊を力足で踏んで抑えつける除霊の呪術である。折口信夫は、この反閇の起源が古代シナの「禹歩」にあるのではないかと推測したことがある(『日本芸能史六講』)。・・・反閇はやがて陰陽道に取り入れられ、呪術となって日本各地に普及したのだろう、と折口は述べている。・・・そして彼ら下級陰陽師たちの反閇のしぐさが芸能化していく過程で、御殿に畳を敷いたり、地べたに筵を敷いてその上を踏む、ということが行われるようになる。当の敷物がその場所、あるいは村全体に見立てられ、足踏みによって悪霊が除かれるのである。」と書くのだが、<そのときすでに遅し>と私は思うのだ。
もうすでに私たちの無名の肉体は、どこか別の、流浪の、旅のすき間に毀れおちるであろう。だって手も無く、足も無い身体たちは五体満足な旅さえ可能わぬ。領土から別の領土への移動のすき間で、儀礼の外へ、儀礼から脱落するように去る。自ら擦り抜けるようにして逃れ去る・・・。なんとなれば、種村−折口的な解釈の、還元可能な領土化される芸能の<外>に、役立たずの、無用化された、無産の反閇の、連なりと面なりがあるのだ。そこに際どい縁の、縁と縁の、残酷な出会いと混成がある。

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