「吾妻橋」2日目。

1時に入る。本番は3時開演。『DEAD1』人体有害の銀粉を吸引して蝕まれる。林はマスクを用意、目黒は下塗りにベビーオイルを用意してきた。
『DEAD2』は最初から、つまり『わが魂のジュリエッタ』から花道の縁にずっと死体で寝ている。見えない速度で体を起し、背でステージのジュリエッタと首くくりの進行を受ける。体を返し這ってステージに入ると、すでに首くくりの儀式は終了していた。暗転。桜井氏いわく制限時間を越えて30分あった・・・。打上げは早めに酔って結構楽し、他のプログラムを観られなかったけれど。清水永子氏や小浜正寛が隣に来て話す。

「吾妻橋ダンスクロッシング」初日。

11時に入る。美香・古沢組にJBなしを伝える。12時、『わが魂のジュリエッタ/DEAD2』、JBなしで一度試し・・タクさんを抱きに行き、背負ってしまう・・・接触過剰?首くくりの首が危ない?・・・2時のゲネはなんだか気が入らない。本番はマシ、歩いて出て、タクさんの吊られた体に優しく接触、タクさんを正面へ向けなおしてから一気にバットー、床での微妙な震えから中腰になったところで26分の制限時間で暗転。短かった?それでも私は9分はステージ上に居たのだ。帰宅して風呂、桜井から電話「あれでいいんですか?」私の出番が「短すぎるでしょ」と言っている。

吾妻橋・リハーサル日。

吾妻橋・リハーサル日。桜井からTel。3時半に入る。ミーティング4時半ー5時。黒沢美香さんが入って「わが魂のジュリエッタ」と「DEAD2」を組み合わせなければならない。これが予想外・・・。まあ3人でJBを鳴らして踊ってみよう・・・。
夜は第一部のゲネで『DEAD1』のジミヘンの「Purple Haze」//「Fire」をやる。狭い楽屋に(とはいってもわれわれは銀粉が舞うので<隔離的に>一部屋与えられているのだ、トイレ付きで)林・目黒と銀塗りして待機、二人は全身銀色に塗るのは始めて。銀粉には<人体には使用禁止>と書いてある。懐かしい金粉ショーの楽屋のまんまだ。昔はワンステージ済ませるとこのまま掛け持ちで別の店に走ったりしたものだなんて話していると、9時を回って『DEAD1』の出番、OK、誰かが「すごくいい、カッコイイ」と言っている。銀塗りを軽く落として帰宅。桜井に「JBはなし、無音で行く」と言い残す。

目黒大路+林貞之と稽古。

夜8時半、下井草のダンス01を借りて目黒大路+林貞之と稽古。久しぶりにいっしょに動く。「吾妻橋ダンスクロッシング」まで稽古は数回しかできない。鈴木ユキオは同時期に自分の公演があり不参加。

ベルナルドの『coupedecale』。

8時ホテルで朝食。パリ行きの用事は昨日トゥールで済ませたので今日はCCNTでベルナルドの『coupedecale』の稽古を見た。
coupeは英語の cut、decaleは gap、ベルナルドらしいタイトル。真っ赤なスーツを着て真っ赤な靴を履いたベルナルドが床に放置したエレクトリック・ギターを赤い靴のヒールで弾きながら踊るところはスリル満点であった。これはJimi Hendrixもやらなかった。結構足でも弾けるもんだ、と思わせる。このパートのもっと長い演奏=ダンスが見たいと思った。テルアヴィヴの片腕の画家のドローイングのパフォーマンスが背景のキャンバス上でダンサーと混成して進行する。ミュージシャンが独り上手中央でライブで演奏しつづける。すべて即興を孕みながら現在進行形で混濁・混成する。ベルナルドの手法が良く出た作品だった。

WSのショーイング+ジョセフ・ナジ。

ジョゼフ・ナジが朝から来る。朝のクラスは私がやる。午後はグループでのショーイングを見る。即興を含め、アイデアに優れたものがある。ナジとは合間にいろいろ話す。80年代パリに彼がデビューした頃、Menagerie de la Verreでの私のWSに一日参加したことがあった。私は一昨年彼のソロをウィーンで見ている。