「shy」 と 「鶴の子」のこと

5時半、東横線学芸大学で目黒大路、森下さんと待合わせ、TAVATAスタジオへ。面白く使えるスペース。昔ーし昔、『shy』というアンダーグラウンド・キャバレーをオルガナイズ=プロデュースしたことがあって、オープニングにライブ・パフォーマンスをやったまま、フランスへ移動してしまい貫徹できなかったのを思い出した。地下一階へ青山墓地裏のキラー通りからダイレクトにコンクリートのひん曲がった階段を降りると狭ーい、地下の納骨堂みたいなスペース・・・更に金属アーティストの原田和男氏に依頼して重い<鉄扉>を制作してもらった。[shy]のネオンの良くマッチした。あのパフォーマンスの証人には鴻英良氏や阿部良雄先生といっしょにジャン・ミッシェル・パルミエ、それに亡き三好豊一郎氏。中西夏之氏にも加わっていただいて巌谷国士氏も訪れ、なにか面白い遭遇的なものが仕掛けられ始めたのだったが・・・残ー念である。

福岡の吉村さんより小倉の「鶴の子」が贈られて吃驚!感謝して、早速いただいたのだが、マシュマロであり、中に餡子が入って・・・これは違う。私の、おそらく1975年前後に小倉の市場の脇で食べた、あの<体験的>な「鶴の子」は別のもの?舌に載せたらまるで暖かい雪がサッと瞬時に消失してしまったかのような<砂糖菓子>であった。真っ白い卵の!あれはやっぱり餡子の入っていない、そして出来上がりたてのマシュマロであったか・・・?とすれば・・・まだ書きたいこともあるがこのへんで。