「ゲバラ」(長髪だったし、ヒゲも蓄えていたしな)・・・縁の断片

02/13 sun WSオープンクラス初日1:30〜4:30。25人、男性が9人(男が珍しく多い)。生徒数も多いがスタジオも広く明るい。WS後、6時半センターのカフェで待合せ、カルロッタと照明のエリックと「Zarathoustra」装置の打合せ。
ウィーンからクリシャ(私の『Edge』の照明をやる)が到着してヴェロニックが連れて来て皆で夕食する。エリックにクリシャを紹介する。エリックは60年生まれ、クリシャは59年生まれ(BUTOH誕生に同じ)。
エリックがボルドーで『Zarathoustra』を観て、「ツアーの運転でもなんでもやるから雇ってくれ」とパリに私を尋ねて来たのが、彼が21歳のとき、24年も昔のことであった。感慨に耽るみたいにエリックが私の誕生日も尋ねたから、いつものネタだが書いておきます。
これは最近メキシコのWS時に私と誕生日が同じ生徒から教えられたのだが<チェ・ゲバラ>も同じなのだそうだ。もっと若いころから知っていれば(ネ)・・・人生変わった(カ)?で、それに輪をかけるのが実は土方巽の傍で暮らした「アスベスト館」時代、土方は私のことを<ゲバラ>と綽名して呼んでいた(長髪だったし、ヒゲも蓄えていたしな)。それで、つい一昨年亡くなられた元藤さんも最後まで私のことを「ゲバラ」と呼んでいた・・・(ここでは泣かず跡で泣く)。(芦川羊子さんにも会いたいが、彼女こそ私を「ゲバラ」以外の名では呼ぶまい。)というわけで、ついこのあいだまでの私はゲバラでした、という話(笑)。
一方、クリシャの嫁さんのモラヴィアは、ゲバラに近いベネズエラ出身の素晴らしいダンサーだが、7年前の私の『Working Process』ベネズエラ・ツアー(マラカイ〜マラカイボ〜カラカス)のときに恋に墜ちたのが縁で結ばれた。「ベネズエラの恋」の成就である。