Chavela Vargas。(このあとフリオが倒れた)。

通し稽古2日目。昨日(11日)のつづきを書いておく。
スペインの陽射しはチュニスよりも強く眩しい、そして暑い。テアトロ・エスパニョール前のプラザ・サンタ・アナのカフェでエスプレッソ。広場の喧騒が舞い上がり揮発する無風の正午、時間が止まったよう。稽古の時刻に遅れたのかわからない。昨日の踊りのことを考えるでもなく考えている。ペドロ・パラモ!何の踊りなの?死者たちの記憶の交錯と撹乱のなかからなんの革命と愛の・・・歌が舞い、歌が酔いつぶれない。歌?詩?結局、エストラーダの前衛も単なる過剰で、多情な歌か。セルヒオ・ヴィラの演出も情念的にすぎると感じた昨日。
はかない無為の詩にとどくか。彼らのヴォーカリゼーションには肉体がない。無為と無欲にとどく無邪気で無知な肉体がどこかへはぐれてしまっているからフリオのスコアが死んでゆく。表現するヴォイスでは駄目なのだ。すべての信仰を捨てたところに発するヴォイスでなければ。自然の真似が出来ると思うなんて!
Teatro Espanol。セルヒオが私のために仕込んだ照明を見せてくれる。1時スタート。ゆっくり曲を聴き取りながら、他を見ながら踊る。チヤヴェラの歌もバルコニーから入る。(そう、昨日書いた大歌手というのはChavela Vargas。スペインでも大スターだそうだがメキシカン。終わって階段でチヤヴェラと付き人に会ったので「あなたの美しい歌声で踊れて幸せだ」と挨拶する。昨日は白髪の後姿しか見ていなかったのでスペイン人なのかと思っていたが、彼女はメキシコのインディヘナ。プロデューサーのラウルに歳を聞いたら87歳、私の母親だ。)彼女の歌にのるように軽くステップを踏み、歌の後半にはステップが絶えるように踊った。短い。で、次に雷雨になるのだ。力まず、うまくいったと思う。休憩が入る。テアトルの裏口から出た路地のカフェでエスプレッソ。メモをとる。(このあとフリオが倒れた)。

大歌手xxxがナマで革命歌をバルコニーで。

マドリッド。トランジットの疲れが出たかよく寝た。10時すぎ外でコーヒーを。アトーチヤ大通りのホテルの並びにAmericaという大衆的なカフェ。(生活感のあるという意味。ヨーロッパの各都市のカフェはその土地のコトバをよく映す。ウィーン、パリ、ローマ、ロンドン、シュトゥットゥガルト・・・この周辺にスターバックスは見かけない。)昨日もここでエスプレッソを2杯飲んだ。黒い帽子とセーターに黒縁のメガネの小柄で洒落た老婦人が窓際に座って、ひとり朝から赤ワインをグラスで飲んでいた。・・・今日はテクニカル・リハーサルとドレス・リハーサルまで丸一日テアトルで過ごす。明日が初日なのだ。突然決まった演出の変更、音楽的な即興にも即興的対応を。メキシカン・カブキみたいな衣裳はやっぱり気に入らない。昨夜は必要以上に神経過敏になって文句を言ってしまいファティマ・ミランダやフリオ・エストラーダになだめられた。というのもマドリッドではスペインの大御所の、もういつ亡くなるかわからないという大歌手xxxがナマで革命歌をバルコニーで歌うことに・・・そんなの昨日はじめて知らされた演出だ。

チュニスのスークと水パイプ。

チュニスの旧市街(メディナ)の迷路のようなスークを歩く。
Pashminaの肩掛けを1枚85ディナールを2枚30ディナールまでまけさせて買ってしまう。誰に贈るあてもなく。スークのなかの食堂(道端の典型的な大衆食堂)で昼食をとる。時間が遅くてもうメニューは一品煮込みとサラダしか残っていないのでそれで済ませる。ティーもコーヒーも隣りのカフェで飲んでくれというので移動。2,3軒先によいカフェがあった(名を書きとめるのを忘れてしまった)。若い連中がお茶を飲みながら水パイプ=Chichaをやっている。カフェの若いマスターが私を見止めて公演を観たという・・・「あなたは是非来年も来なければいけない」と言っている。「水パイプをやってみるか」というから「是非やりたい」と言う。しばらくして炭火の火がついた背丈1メートル余りの水パイプが運ばれてきた。ソファに深く座りなおして吸い出す。私が急速に吸いすぎるので隣りの席の若者が「ゆっくり深く吸うように」と教えてくれる。なんだか気持がよくなる。頭が冴えてきて、・・・同時に朦朧としてくるようだがマリワナのようなトリップはない。コーヒーも美味くなったみたいな気がする。水パイプを休んでKENTの紙巻を吸ったりまた水パイプに替えたりと、少しやり過ぎたかスークの狭い路地をユラユラ揺らぎながら帰る。迷路の煙りになったみたい。

夜はEtats de grace-Theatre Municipal: 20h / Derviches Tourneurs de Konya (トルコ)を見た。夕方のイランのSama’a/Javadも見るつもりで18時4eme Artへ行って見たが場所と時間が変更されていて見られなかった。で、余計にはじめて見るスーフィーのデルヴィッシュへの期待が高まってしまったわけだけれど残念でした。人数も写真みたいに多勢ではなく音楽に8人、踊り手に5人。それも踊り手の一人は踊らずに先導して回転でポジションが乱れるのを調整する役回り。この日のレパートリーが瞑想的に徹したものなのか、急速なトランスを予想していたからはぐらかされた感じでホテルに帰る。

Hamed Taheri / 「Radio Hour1950」の10枚組。

リハーサル最終日。2時すぎ演出のセルヒオが私の後半の出番の準備をするよう私に指示したが、フリオが突然稽古終了を宣言する。では、皆と「マドリッドで」。ノイズ・メーカーのヨレンツの荷物がいっぱい・・・で、私の買ったばかりのダンロップのバッグを気前よくあげてしまう。帰ホテル、冷蔵庫の冷えたビールを呑む。Hamed Taheriに電話、30分後にKaufhofの前で会うことにする。U6でHauptbahnhofへ、駅のエスカレーターでいっしょになり再会を喜び合う。モダンミュージアム前のカフェに座っていろいろ話す。畠さん、内野さんを含め、いつかいっしょに仕事が出来るかな?・・・したいと思う。
ホテルに戻る。買いすぎたCDを石川君に少し持って帰ってもらうことに・・・「少し重いんですが」と言ったけれど断れないと決めて嬉しそうに引き受けてくれる。マハヴィシュヌ・オーケストラ、E・ドルフィー、ジミヘン2枚組、Oldiesの8枚組など、フリートウッドマックも選んでくれる。「Radio Hour1950」の10枚組、「DIVA」の3枚組は手元に残る。この「Radio Hour1950」はなぜ1950年1年のみに拘って10枚組(250曲)を出したのかが聴いているとわかって来る。いろいろな聴き方が出来る多数的で危機的な年なのだ。大衆音楽にとってのだけではなく。私は大衆音楽が好き。それが流行語であり隠語であり、時代を映す鏡だから。It’s just before the Rock&Roll rising with Elvis, Little Richard & J.L. Lewis, just also the time of Boogie Woogie rising。発売は、Weston-Wesgram B.V. / p2006 Germany。(大衆音楽について細川周平ならもっと上手に言うであろう)。少し休んで、荷造り、それからメールを書く。

横浜ダンス界隈・番外編のリハーサルに行く。

横浜ダンス界隈・番外編のリハーサルに行く。みなとみらい線日本大通り」のZAIMへ。入口がわからず迷っていると鈴木ユキオが来て、いっしょに行く。開港資料館中庭で岡田智代さんのリハを見る。照明のアイカワ氏とはずいぶん久しぶり、私が踊りの公演に出かけなかったせいか昨年の北米ツアー以来だった。いっしょに私のサイト「東西上屋倉庫2号倉庫前」と海側のフェンスを下見。戸田さんから言われたタイトルとテキストを『Dog on the Dock』、「波止場の犬・・・・ゼロ戦供養の絶対零度」に。雨が本格的に振り出して、ずぶ濡れ。ZAIMに戻って服を乾かす・・・音をやる種子田郷さんには会えず帰る。夜、種子田へ電話。私が「ゼロ戦供養」と書いたからか「ハードに迫る」と言っている。OK。

シュトゥットゥガルトに夜9時着。

成田空港11時の待ち合わせに20分以上遅刻。交流基金の畠さんがハラハラして待っていた。ブリティッシュ・エアー、ロンドン・ヒースロー乗り換えでシュトゥットゥガルトに夜の9時着。10時過ぎ疲れてようやくホテルに到着するとハメド・タヘリが来る。話は明日、挨拶だけして部屋に上がる。

端回忘年会「竜の湯」。

端回忘年会。「端回」というのは「Edgeの会」の奈良幸治流訳語から生まれた。昨年同様、銭湯でやる。3時馬場で美露さんと会い、9月イイノスタジオで撮影した写真を見る。5時下落合の「竜の湯」へ美露さんと到着、奈良が先に来ていた。WS生菊池、三上さん他、銭湯に入る。田さんとは銭湯で会う、那須さん、國吉さん、後藤。五島さん、霜村さん、浦野さんは界隈だ。なつかしい木村嘉秀ほか、8時半志賀、古沢さんが寄ってくれる。今夜の驚きは美露さんの大判の写真と後藤のヴィデオから起した辞典みたいな写真集。これって売れるのではないか、というより立派な後藤の作品に成っていると思う。目白の霜村邸へ寄って深夜帰宅。